2014年04月05日

今日の毎日新聞のテレビ欄にて

気になったテレビ欄があった

NHKや東海テレビでも取り上げられてる

絶対観ようと思って意気込んでいたが客人が来て叶わなかった

日本における和食文化が壊れるという理由で給食には出さないと・・・

牛乳の歴史をその市長さんは知ってのことか!

今や牛乳は和食文化そのものだ!

「乳和食のすすめ」なんていう本も出てるんだぞ!







(以下はネットより拝借)

「薬だった飛鳥、平安時代」

日本人が搾乳や牛乳について知ることになったきっかけは、百済からもたられた医学書や経典と共に日本にやってきた牛乳の薬効や乳牛の飼育方法が書かれた書物からでした。大化の改新の頃に皇室に牛乳が献上され、その豊富な栄養素から「牛乳は人の体をよくする薬」として喜ばれ、献上した者に「和薬使主(やまとくすしのおみ)」という、医者として牛乳を管理する者という意味の称号を与えたほどでした。日本で牛乳が飲まれるきっかけとなったのですが、庶民の口に入るようになるにはまだまだ先のことでした。薬用として大事にされた牛乳は、毎日2300mlもの量が皇室に納められました。酪農が広まると、「蘇」という牛乳を1/10に煮詰めたものが税として納められるようになり、貴族の間にも健康維持や病気の時の健康の回復に薬としてもてはやされました。平安時代も末期を迎える頃には「蘇」を税として納める制度もすたれていきます。

「徳川吉宗と牛乳」

江戸時代に入ると、八代将軍徳川吉宗は外国人獣医から牛乳やバターが馬の治療に良いとすすめられ、牛3頭をインドから輸入しました。千葉の牧場で飼育させ、これが現代の酪農へとつながっていきます。牛乳から作った蘇を将軍や大名の善に供え、滋養強壮剤としてたいそう珍重されたのです。江戸時代末期、外国人を見た前田留吉という人物が、外国人の大きな体は牛乳を飲んでいるからだと考え、牛の飼育と搾乳を手がけて販売するようになり、これが日本で初めての牛乳の販売となるのです。
  

Posted by 春ちん  at 00:33Comments(4)

2014年04月05日

今日の毎日新聞の宣伝欄にて

某食品のコマーシャルです

なかなか感動的な文章で惚れました

これです


1日ではつくれない畑です

1日でもさぼったら、失われてしまう畑です

農薬を使わない

そう志したときから男は毎日雑草を抜いている

以下省略・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

健康のために口にするものは、それを育てる土まで

健康でなければならない、と

考えてみれば、もともと地球には農薬も科学肥料もなかった・・・









いい写真だ
春ちんとそっくりだ^^
ただそれだけが言いたかった・・・
  

Posted by 春ちん  at 00:01Comments(3)